Mさん 24歳 男性 自閉症スペクトラム障害(ASD)
自閉症スペクトラム障害(ASD)と診断されるまでの経緯
2022年現在24歳無職、障害年金を貰いながら実家で細々と暮らしている。こうなるに至った人生の転換期は2019年の3月、当時21歳大学3年生の私が遅ればせながら就活に取り組もうとしていた時だった。
とはいえ、ガクチカどころかサークルにも入らず学内に友人の一人もいない私にはESや履歴書に書けることは何もなく、藁にも縋る気持ちで就職課の門を叩いたものの邪険にされいよいよ追い込まれてしまった。この頃から体に強張りと拒食が現れる。
その後、企業説明会に足を運ぶなどしたが体調は悪化するばかり。ロープを購入したところで学内カウンセリングの存在を知る。救いを求めやはり門を叩く。
ヒアリングでこれまでの経緯を説明するが何か1つ笑いが欲しいと思い、「ロープ買っちゃったんすよ!」と言ってみた。
その後、すぐさま学内の危機管理センターなる所に通達され、遠く離れた実家から母が呼ばれ、数日以内に精神科にかかることを約束させられてしまった。
約束通り近くのメンタルクリニックに行くがまずは実家に帰れと言われたので帰り、帰郷先の病院で検査を受け下った診断が「自閉症スペクトラム障害(ASD)」であった。
今までの人生を振り返ってみて
- 会話が続かないことが多く、コミュニケーションが難しい
- 相手の気持ちを察するのは苦手
- 空気を読むことが難しい
- 思ったことをそのまま口に出してしまう
- 急な予定変更があるとパニックになってしまう
- あいまいな指示をされると困る
- 先の見通しをたてるのは苦手
- 職場で同じようなミスを繰り返してしまう
- 自分のペースがあり、他者と合わせるのが苦痛である
- 特定の匂い、音など特定の感覚に対して過敏性がある
- 人間関係がいつもうまくいかない など
https://works.litalico.jp/column/developmental_disorder/008/ より抜粋
会食ができない、空気が読めない、機転が利かない、音に過敏、情緒不安定、人に嫌われる。これまで自分の中にあった朧げな違和感の正体がいとも簡単に突き止められてしまった。あれも、これも、そういえば人と違っていた、人と同じ様にできなかった、それが、これなのか。
提示された事実にただ慄くことしかできなかったが、私は聞いてみた。
「先生、これ治るんですか?」
診断後と現在
現在は抗うつ薬のトリンテリックス、抗精神病薬のレキサルティ、そして注意欠陥多動性障害(ADHD)薬であるストラテラを飲んでいる。どれも自覚はできないが効いているようで医師や親からは優しくなった、思考が柔らかくなったと評されている。
私はASDの診断を受けたが、少なからずADHDの要素もあると医師は言う。発達障害はASDとADHDの両方が併発することも珍しくなく、私がストラテラを飲んでいるのはそうした理由からだ。
結論、完治することは無い。薬や認知行動療法で諸症状を抑えて一生付き合うものであるというのが医師の答えだった。今でもこの事実が私の人生に暗い影を落としている。
私が働けないのは障害からくる人間関係の困難だけが理由ではない。WAISと呼ばれるIQを測る検査において、視覚を用いて状況を判断する能力が極端に低いとの結果が出たのだ。思い返せばアルバイトでは使い物にならず、野球ではフライが取れないといったことはここから来ていたのだ。発達障害のある者は何かしらこの検査で異常を示すことが多いらしい。
冒頭書き示した通り、私は無職で実家暮らしだ。社会復帰の為に福祉と繋がりサポートを受けているが日の目を見れそうにはない。一生、障害を背負って生きていくということが何を意味するか、私は見ないふりをして今日も部屋の中でただじっとしている。